昭和54年02月10日 月次祭
2、3日前に頂きました御理解の中に、楽しさと心配と、ということを頂きました。楽しさと心配と、ということ。昔、「天と地と」という映画がございましたですね、まぁそんな口調なんです。私共、信心させて頂いておれば、ただ有り難さということだけではない。不安もあればやはり心配もある。合楽で今、信心の稽古をさせて頂いておる者は、もうそれこそ楽しゅう有り難う、しかも愉快にまでという信心の手立てが、もうそれこそ懇切丁寧に説き明かされております。
からというて不安もない、心配もないということではない。その心配があるからこそ、真剣な御祈念も出来るし、だからこそ、にちにちの信心修行にも本気で取り組むことが出来る。問題はその心配の内容が変わってくる。ね、そういういわば、高度な信心を、いよいよ目指させて頂くわけでございます。もう20数年も前の御理解ですけれども、「波紋広げて沈む、沈みゆく石を又投げぬ、めぐりの底を知らぬ人の心」に、というのがございました。ね、
波紋広げて沈みゆく石。どういう意味だろう、どういうことだろう。お互いの信心の過程を振り返って見ますと、当時の椛目、当時の神愛会と称して、金光様から金光教椛目親神愛会というお書き下げを頂いて、神愛会が発足いたしました。そして、本当に、門前市をなすというように、沢山な人が集まっては助かり、助かっては消え、助かっては消えするような時代でございました。
その当時から信心を続けておられる方達は、まぁ大なり小なり、しっかり信心のお期待といえばお期待ですけれども、しっかり、いわばお叱りを頂いてお育てを頂いた。例えば、善導寺の原さんなんかよう怒られなさいました。あちらが御縁を頂かれたのは、今日、楽の御用を頂いておられます、原昌一郎さんが、高校入学のことでございました。おかげで浮羽高、高校でしたかね、に、合格のおかげを頂いて、それからあいものでございましたでしょう。ね、あるお願いに見えらえて、見えられた時に、ね。
おかげで息子は高校にでました。そしてこうこう、こういうおかげを頂きたいというお願いであった。ね、まだ初めてお願いをして来た。その時に、私は今でもそれを覚えているんですけれどもね。原さん、例えばにわか雨に会って、傘を一本借りても、ね、さぁこれから暗くなるというので、提灯一つ貸してもらったというても、返しに行く時はお野菜の一本も、お菓子箱のいっちょんもって、ね、お礼に行くばい。ね。
それに、それこそ通るやら通らんやら分からんような、息子の高校受験が出来て、この次に又お参りをしてくる時に、その時、あの時おかげを頂きました、こう又この事をお願いしますと言った様な事じゃ金光様の信心な出来ん。というて、まぁそれもこんな穏やかな事で、まぁそれこそ激しい、もうそれこそ、その時の事を原さんが言われますのを、いうておられました。もう椛目に参ったらそりゃおごらるるち。もうあげんおごられるるとならばもう参るめと思うたけれども。
次々と願ったことが、おかげになって行く。そして九死に一生と言う様な、あぁいう昌一郎さんが、死ぬか生きるかの病気をさせて頂いて、それから夫婦の信心になり、一家をあげての信心になり、その過程においても、もう何回も何回も、大変なお叱りを頂いたというのです。ね。だから、信心の様子というものを私が見て、そういうことではおかげは受けられないぞと。そんなだらしのないことでどうするかと。まぁ当時は、私が皆にそれを申しました。
シャンとした人は信心も進みゃ、おかげも受けて参りましたけれども、もうあげんおごられるごたるなら、もういっちょん参らんというて、参ってこなかった人も沢山あります。そういう時代です。この人はもう命が難しい。それを神様からおかげを頂いておる。そこで次の信心がぐずぐずしよったら、どういう事になるやら分からんぞというても、言うても聞かない時に、心はいよいよ悲しゅうなる。折角助けて頂いたのがまた、元の木阿弥にならなきゃならないと言った様な時分に頂いたご理解でした。ね。
波紋広げて沈みゆく石を又投げぬ、めぐりの底を知らぬ人の心に、という。その時に当時としては、もう私のぎりぎりいっぱしの信心でした。本当に自分のめぐりというものが分からないから、いくら言うて聞かしても、言うて聞かせても分からん。こういうない命を元助けて頂いておりながら、言うても分からん言うても分からん。まるっきり私のために信心してくれと言う様に、あんたどんが思うとるから、そういうことになるのだというような時代でしたね。
そして今日に至らせて頂いて、今先生から怒られたという人はありません。先生から責められたという人もありません。これは家族の者でもそうです。ね、もう責めるということを致しません。それは私が育てるのではない。神様が育てて下さるんだと。目に余るようなことがよしあっても、それを自分の手元のところ、自分の信心に照らし、させて頂いて、私が修行を致しますから、私がお詫びをさせて頂きますから、と言う様なところへ段々焦点がおかれるようになって来た。
今日も、研修ちょっと前でした。美山先生が、京都のある教会から修行に来ております修行生です。今日ここへ出てまいりましてから、今日御祈念中に「土俵」ということを頂いた。土の俵と書いて。人偏に俵ですかね。土俵。で、美山君に申しました。先日からある人が、先生あの美山君はあれでいいでしょうかて。どうしてか、とにかく何時見てもテレンパレンしとんなさるごたるとこういう訳。もう一年数か月になる。いやそりゃ私も、目につかんじゃない。
けれども、私が扱っとるとじゃない。合楽の神様が扱ってござるとじゃから、神様が育てて下さる。折角ここに修行に来とってそういうことでどうするかと。というなら言うてもよいようなもんだけれども言わない。私は今日そのことを頂いて美山君、本当に神様ちゃ有り難いねというて話したことでした。今合楽で言われる、土の信心。水の信心。もうとにかくこの信心を合楽で身に付けない限り、合楽で信心修行しておるとは言えない。ね、土俵という字を字で、土の人偏を書いて表すと書いてある。
本気で美山君土の信心、今年から学院に参ります。ね、だから学院に行く前に、これだけは体得しておきなさいよと。ね、よく言うならば、あのお相撲さんの熱心な人のことを、土俵の鬼というではないか。それこそ合楽の信心修行の鬼と言われるぐらいな信心を本気で、一つさせてもろうて、土の信心をいうならば実験してみて、それを実証して。そして、神様の働きを分かる、神様を身近に感じることが出きる、おかげを頂かなければいけないね、というて話したことでした。
もうね私なら、一年数か月ぶりに初めて彼に、修行らしい修行。話らしい彼に対するお話は、今日が初めてでした。もうそれも数か月後には、ここから離れて行く。学院に入らなければならないという。もうこの数か月の間に、せめてこの信心だけは身に付けていけよという神様の深い思し召しを思わせてもらう時にです、ね、これは美山君だけではない、皆がそうなんだと。ね、十数年前の、いわゆる椛目神愛会の時代。次々とまぁ今の言葉でいうと修行生。本気で修行に打ち込んでおる人。
まぁその時分の修行生というのは、たいがいが体が、もう医者にも見放されたと言った様な病人さんのような人達が多いかった。ね、秋永、例えば文男先生どんが場合はそうではない。本当にやっぱ、あれがもし合楽、今日であったら、今頃はもう金光様の先生になっとらにゃんとじゃったじゃろうと思う。ね。けれども、まぁそういう時代に、ね、十数年の間に、十三名の修行生。又はあれほど熱心な、又は総代さんと言われる様な方達が、十三名亡くなりました。
神様の厳しい、いうならばおしつけの中に、お働きの中に、そういう事が続いて、ね、今日のいうならば合楽教会の基礎をもなした御霊様達だという風に、私は思うんですけれども。ね、そういう時にです、ね、こういうことでは、そんなことではおかげを又、せっかくなら頂いたおかげを落としてしまうぞと。ね、神様からこうお知らせを頂いたばい。こう信心させてもらわにゃというても聞かん。ね。
又先生から怒られにゃんとば当てしとるごたる感じである。ね。もう本当に、神様のお心も辛かった、私の心も辛かった。けれども今から考えて見るとです、私の信心がその程度であったなという風に思うんです。ね、怒ってでも叩いてでも分からせようとする時代から、もうそれこそ黙って治める。もう成り行きそのものを神様の働きをして感じられる。それを神願として頂けれる。ね。
そして責めの、責めることはない。叩くこともない叱ることもない。と言う世界が開けて参りまして、初めて合楽理念の発表ということになったわけです。ね。だから合楽理念の中にはね、まぁいうように責めたり、ね、叱ったりということはないんです。ね、ですから例えば、その責めたり腹ん、あの怒ったりしておる時には、もう合楽理念の軌道をそれておる時だと悟らなきゃいけません。
そうしていうて聞かせるよりも、して見せるよりも、ね。それこそ叩いて教えると言う様な厳しいことをしなくても、信心が育ってくる。例えば美山先生が例えばね、それこそ今日ご理解に頂いたように修行の鬼と言う様な信心にならせて頂いて、人が助かり、人を現して行くことが出来るようになる。まぁ大変な事になってくるんです。ね。信心の中身が変わって来る。
昨日は朝から有り難い一日でした。もう4時、4時半の御祈念を終わって下がらせて頂いて、とにかく4時、4時半、下がって直ぐお風呂を頂くんですけれども、もうお風呂の中で涙がこぼれるほど有り難うなってきた。何が有り難いか分からん。昨日私は、あるご病人のお取次ぎさせて頂いたら、昔あのお葬式をさせてもらう時に、その白いあの紙の、を巻いたありゃ紙緒の草履というでしょうか。ね、火葬場まで行く間はその草履に履きかえて行ったんです。
もういわゆるお葬式の時にだけにしか履かない草履というのがありました。その草履を1足こう重ねて頂いた。ははぁもういよいよ、大変な状態にあるんだなぁと思わせて頂いておりました。昨日お風呂の中で、とにかく有り難い、有り難いでお礼もうさせて頂きよりましたら、確かに午前中に頂いたその紙緒の草履が、同じ形でこう合わせてあるけれども、竹のかわ草履に変わったところを頂いた。
私はもうそん時に有り難いと思うたです。これは皆さん今日のご理解を頂いて下さるならここなんです。ね、私共が有り難いと思う心。それは、御教えにも真に有り難いと思う心直ぐにみかげの始めと言われるが、その真に有り難いというのはおかげを思うたから、自分の都合の良いようになったから有り難いのですけれども、それだけではない。それとは反対のことであっても、御神願を思うたら、神様のお心を思うたらいやなら叩かれても有り難いとお礼を申し上げる心こそが真に有り難いという心。
昨日私が、もうとにかく有り難い、何が何か分からんけれども、有り難い有り難いと思わせて頂いた、いわばそういう有り難い。私の有り難いというその心で、怒ったからではない、教えたからではない、叩いて言うて聞かせたからではない。私のいうならば黙って治める、成り行きをいよいよ大切にさせて頂きながら、心に培われて来るところの有り難いという心がここまでに高められた。
この高められた有り難いというものが、もう寿命だと言われる。もう開けんというはずの人の道でも、道が開け、助からんはずの者も助かって来るというほどしのおかげが頂けれるということが皆さん分かるでしょう。ね、だから皆さんとても同じこと。その有り難いという心が一家を救い。有り難いという心が又の職場にその有り難い、その信心が潤うて行く。ね、それを周辺に広げていこう。ね。
今日、久留米の稲垣さんが、さっきほどお届をなさっておられましたが、お夢の中で、とにかくある人に一生懸命合楽の信心話ておる。合楽の親先生こそ日本一の親先生ですよ。もうとにかく有り難いですよと一生懸命自分は合楽示現活動をしておるつもりであったところに、親先生が現れて見えた。そして、日本一じゃないよ、世界に現さなければならないほどしの合楽の信心ぞというお言葉を頂いた。というほどしにね。
その私の有り難いというのが、2、3日も、いうならば、南米の奥地の奥地から、あのお届がございました。外人の方のお届でした。もうどうにも出来ないという、切羽詰まった難儀なお届でした。今日私は、昨日そんなお知らせを頂いて、朝からおかげを頂いて、助かったという人達のいうならば、開けんはずのものが開けて来る。助からんはずの者が助かったと、お礼の出てくる人が幾人もございました中に、これは上野先生がお取次ぎをさせて頂いた。
先日親先生にもう医者、もういよいよ難しい。だからもう折角、どうせなくなるならば家に連れて帰って、死なせたいというお届があった。そげな事があるもんか、死ぬるとそげな事よりか、一生懸命お願いをしておかげを頂かにゃと。というて連れて帰ることを私は止めて居りました方が、丁度お礼参拝して来ておる。上野先生がちょうど御結界に座っておる時だったらしい。
もうあの親先生にお取次ぎを頂いた時点から、もうとにかく医者がたまがるようにおかげを頂いて、今度はいうならば、ね、おかげを頂いて大変なおかげがまじか、この調子ならまじかだという、お医者さんのお許しを頂いたというお礼のお届があった。今日昼、4時に下がろうとする時に、手紙が沢山来た。その沢山の手紙の中にもう一つ、今この頃目が薄いから、末永先生に全部読んでもらう。
もう本当に有り難いことだな、有り難いことだなぁと、思うことばっかりのそのお手紙の中にね、これももうここで熱が出たら、もうこの病人はおしまい、もう出る可能性の方が強い、という時にも一心不乱に合楽の金光様を念じた。これはある教会のご信者さんです。ね、そして、合楽から頂いて来ておる御神米を頂かせたらそれが通った。お神酒も通った。ね、その時点を境におかげを頂いて、もう全快まじかというお礼の手紙が、これは末永先生が読んでくれた中に今日それがあった。
はぁ私が昨日、私が有り難いという心は助からん者も助かる、開けんものも開けて来るほどしの、おかげにつながって行くんだなぁと思う時に、もういよいよ持って、この有り難しというものを育てて行く。どういう信心にならせてもらえば、有り難くならせて頂くかという事を、焦点に置くことが、いよいよ楽しいものであり、有り難いものであるという事になって来る。
信心が楽しい、というて、もう先生には不安もないか、心配もないかというと、皆さんがなさる以上の心配を例えば心の中に持っておるかも分からない。ね、けれどもね、いうならば信心のない人が、又は信心の薄い人が心配するような心配ではないということ。神様が御心配を下さるような心配が出来るようになっておること。ね、楽しさというならば心配と、というものが私共の心の中には同居しておらなければならない。いや、同居しておるのだと。ね。
というてその心配がです、ね、信心がない者でも心配せんで、ようなことにいわば取り越し苦労をする。心配をする。神様は、親先生はあぁ仰ったけれども、というて心配をする。ね、だからいや、信心が進むということはね、そういうことなんです。心配の度合いが、ただではないのである。ね、これがいうならば心配の度合いというか、ね、程度というものが、高められて行くということが、信心が高められて行くということであり、しかもこれは生涯という。
そこんところを教祖様は一生が修行じゃという風に、教えられたのではなかろうか。今日、研修の時に、岩部先生が発表をしておる最中に、頂いたんですけれども。番傘が、もうバラバラに破れておるところ。もう使い物にならないというところを頂いた。その発表を聞かせて頂いて、お話ししたことでしたけれどもね、皆が安心のおかげ、安心のおかげというけれども、ね。
傘のお知らせは、この方の道は傘一本で開ける道と言われるように、傘一本持っておれば、さぁ今にも降りそうに、真っ暗になってきても、傘があるからという安心があるように、傘を持たないから、はぁ濡れだんせんじゃろうかというて走らなきゃ、慌てんならん。
ね、又は降って来たら、もうそれこそじっぽりと濡れなければならない。だから、信心という傘を持っておれば、大丈夫だ。安心だとこういうわけ。だから、その安心の度合い、程度というてもです、今岩部先生が頂いておる安心の傘というのは、もういうならば不安でいっぱいなんだと。もう番傘はもう使いものにならないほどしに破れておるんだと。ね。そこでです、そのもう破れておるその傘には頼らず、もう濡れてもかんまんという心。濡れるなら濡れろという、潔い心。
そしてじっぽり濡れて、いうならば歩かせて頂くことも又楽しいんだという位な信心。そしてその傘の破れたのはもうこう、ね、ちぎって、その傘の柄を杖にして、登らなければ、縋らなければおられないというところを通る。そういう傘一本が破れてしまって、そして、その傘の柄を杖にするという時にです、いよいよもって、神を杖につけば楽じゃと仰る楽な心。ね。
濡れまい濡れまいと思うから、苦しかったけれども、濡れても良いという腹をすえて、言うならば傘の柄をたえ、杖の代わりにつかせて頂いて、その次に頂くところの傘こそが本当の安心の傘だということを、研修中に頂いた。したら、あの私の二番目の光昭が、もうあの昨日御祈念を終わってから、下がる時に頂いた言葉の中に、あれは何とか言ったな、何とか言ったな、くずれ、覚えてないかね誰か。光昭いないか。
光昭おらんかね。(はい)なんじゃったかね。くずれ、くずさねば気付かれぬという崩さねば気付かれん。これは神様の心だろうと思う。ね、私共は信心させて、もうはぁ親先生任せになっときゃ大丈夫ですよ。安心ですよ、というような程度のところから信心がね、段々有り難くなって来る。ところがね、あんなにも言うておった人がです、もう迷いが起こって来る。大丈夫だろうかと思うて来る。いうなら次々と願いもしない反対のことが起こって来る。ね。
だから神様は、くず、この安心の傘を崩しよんなさるということ。そして、崩して今度に、新たに、いわば苦しい中からでもです、ね、その難儀な中からでも傘の柄を杖に付いて、いわば登りついたところに、本当の安心の傘がおいてある。崩さなければ気付かれぬ。ということを頂いたということを、申しておりますが、確かにそうです。ね、だから崩されることをいとうてはならん。難儀をいうならば、ね、もう向かい打つ心にならなければいけない。ね、誰でも難儀は嫌いですから。
その難儀を、悪いことをいうて待つなと仰るから。ね、そのけれども、何時どういうことがあっても、それを信心で受けとめさせて頂くという信心が、必要だということになる。ね、又神様はね、段々教えられたら、神様の責任においてです、ね、試さなければ、ね、例えば学校で、なら勉強を皆さんさせましょう。そしたら、試験をしなさらなければならない事が先生の義務であり、努めであるようにね、どのくらい教えたか。どのくらい覚えたであろうかと。
神様は絶対、どんなお試しであっても、教えてないところまでは問題には出しなさらん。もう当然分かっておるはずのところの、からいうならば問題が出るのです。それをだから、私共がね、百点満点じゃなくても、70点か80点ぐらいはとらなければ、いうなら次の信心の段階が進められないわけ。有り難い有り難いとあげんいいござったとが、この頃ストーッと信心を止めてしまいなさったというのは、そういうところで落第した人じゃないでしょうか。ね。
いうならば崩さなければ気付かれんという、いうなら神様のこれはお心なんです。それはどういうことかというと、より大きな世界、より大きなおかげの受けられる世界。より力を与えたいの親心が、そういう働きになって現れてくる。一生が修行であるならば、そういう修行に取り組みたい。何時も同じ同道回りの同じような事で、同じように落第しておったんでは、おかげは何時もそのままである。
先ほど前講を努めておった、あの先生が申しておりましたように。本当に親先生の祈りの中おかばいの中に、今日は私は朝から正奉仕でしたと。いわゆる神様へ何時も向かっておらなければならないという今日は御用であった。そして丁度今日は祭員にもおかげを頂いておった。そして今日は又御説教までもさせて頂かなければならんという。こう三つ重なった所にです、神様の限りないおかばいを感じますというておりました。
今日、福岡の伊藤さんがお届をしておられました。先月お参りをさせて頂いたら、ある熱心に最近参って来る方が、伊藤さんを捕まえて、あなたのお話しをこのごろ聞いたら、もうとても有り難たかった。もうそして、このことが本当に、あの私の信心に、その教えて頂いたが、こう言う時には、こんな時にはというて、又求められるから、今日はもう時間が忙しかったけれども。
あのそこの信者控え室にいって、一生懸命お話させて頂いて帰る、その道すがらにです、今日は娘と何時までには帰って来るからね、というて約束してあった。ところがそのあんまり、有り難い有り難いで聞いて下さるもんだから、思い思わず話こんでおって、時間を遅れてしもうた。だから福岡へ着かれてから、勿体無いことですけれども、神様あのタクシーに乗らせて頂くことをお許し下さいというて、タクシーに乗った。
乗ったところが、前座席の前に袋のところにこう新聞のようなものがあるから、ちょっとしてみたら、やっぱし真心と書いた新聞であった。一番正面に大きく鶴の絵が、写真が出ておった。してそれをちょっとこう見た所が、その鶴の写真を写した、その人が伊藤何何という人であった。もう本当に神様が何時もずっと、その守りに守り付きに付いておって下さっておるものを感じた。帰らせて頂いたら丁度娘との約束の時間にも間に合うて、まぁ有り難かったというお話しを、お届をなさっておられましたがね。
私共の信心というものが、本当に本気でその気になれば、神様がもう絶えずね、感じずにはおられない働きというか、いうならばリズムが聞こえてくる。そのリズムに乗っての日々であるというところに、信心は楽しいものになってくる。そういう有り難い生き方をしておるか、もう不安はないか心配はないかということはない。それこそね、いわば楽しさもある、心配も又あるということである。
けどもその心配の、その内容というものが、神様が喜んで下さるような事を心配しておる。と言う様に信心が、だんだん進められていかなければなりません。私は20数年前の合楽の、もうそれこそ次から次と十数年の間に、もういうなら私にとってはもう、本当にかわいい、いうなら子供のような人達が、次々と亡くなって、十三名亡くなった。ね、その時分の私の信心というのは、ね、今申しますように、ちょっと間違えると間違いよりゃせんかと注意をする。
いよいよ言うても、言うても聞かんとを、それこそ雷が落ちよった。ね、それでそれを、はぁ本当に先生そうですというて、改まって付いて来る者は、今日まで続いておるけれども、ね、もう信心して、あげんおごられにゃんごたるならば、もう私は参らんというような人もあったと。ね、けれどもそれは、言わずにはおれないほどしの、ものであったけれども、今から考えさせて頂きますと、いわんですむことであった、黙って治められることであった。
そして、いよいよ私の心の中には、有り難いものがだんだん増えていくのであり、高められて行くのである。その高められた有り難いというものに、人が助かって行く。確かになら、いうならば、まぁこれかどう変わるか分かりませんけれども、なら美山君の信心がです、ね、それこそ土俵の鬼と言われるような、信心の鬼といわれるほどしの、信心修行になって、人を現す事の出来るような、ね、信心が出来るようになって、そのことを神様は願いとしておられる。
為にはいよいよもって、ね、土俵の土である。その土の信心を身に付けて行く、いうならば実験をさえてもらおうという気にならなければいけん。その実験の答えが、実証である。ね、そういう皆さんおかげを頂いて行きたい。今日は私のいうならば、過去数10年の信心。そして今日まで、少しずつではあるけれども、信心を本当な方へ、本当な方へと進められ、高められて来ておるところを、まぁ今日は聞いて頂いたですね。
どうぞ。